やれ

最前線物語 (1980年)

- サム爺さんの昔話 -

ショックである……
というのも、今回購入した“最前線物語”ザ・リコンストラクションは、単なる未公開シーン追加ヴァージョン等といった生易しい仕様ではなかったのだ。

そもそも全4時間にわたるフィルムを、当時の配給会社の都合とはいえ約半分の2時間弱にカットしてしまったのである。
こうなってくると、まるで別の作品――とまでは言わないが、明らかに作品の完成度が桁違いになってくる。
勿論、それが熱心なスタッフやファンにとって、長らく遺恨となっていたんだろうね。
このたび25年もの歳月を経て、遂に故サミュエル・フラー監督の遺志をついだ1人のプロデューサーが、台本や監督自身の発言を元に、たっぷり3時間の尺をとって編集しなおしたのであ〜る(映画界におけるフラー監督のカリスマ性って、やっぱ凄いんだねぇ)
確かに常日頃この日記にも書いているように、この歳になって好きなタイトルで新たな感銘を受けるっていうのは嬉しい事なんだけどね……ここまで違うモンになってると、やっぱ「今までずっと騙されていた?」っていう悔しさの方が先に湧き上がる(笑)
中学の頃観た“最前線物語”という映画が、実はまだ本来の姿を見せていなかったという事実――
オレはあのヴァージョンのどこに感動したというのだ?
まだ、フラー監督の事が何も判っちゃいなかったんだ、コンチクショウ。
と、まぁグチは此処までにしておきましょう(苦笑)
この再編集版のメイキング映像に出演し、子供のように瞳を輝かせながら喋りまくるキャストやスタッフたちと同じように、素直にこの“25年越しの奇跡”に感謝し、心行くまで楽しむのが一番なんだろうさ。
それにしても凄い映画である。
これほどリアルな感触を持つ戦争映画は――特に第二次世界大戦を舞台にした作品では、今作以外で“未だに”お目にかかってないような気がする。
確かにプライベートライアンで描かれたような“即物的な映像”のリアリズムで比べれば、昨今の戦争映画にはとても敵うまい。
しかし何よりも、物語そのもの……ていうか、現実の“その場にいた者”にしか知りえないような珍妙なディティールや事象の描写は、戦後世代のオレにとってまさに新鮮な驚きの連続なんである。
冒頭の上陸作戦におけるコンドームの使用法から始まり、連合軍と共闘するイスラム兵の戦場における奇異な残虐行為、くじ引きによる突撃順番の決定とゲン担ぎ、イタリア系米軍兵士の微妙な立場、去勢用地雷に引っかかる兵士、狙撃兵を見つけるために先行させる“餌”としての味方兵(と、それを命じる隊長の確執(笑))――等など思いつくままに例を挙げてみたが、まだまだこんなモンじゃないんだよ。
そういや夜間に連合軍の野営地へ向けて、ドイツ軍側が兵隊の士気を低下させる妙ちくりんな屋外放送をする場面があるのだが、これまたなかなかにシュールな状況ではある(しかも妙に色っぽいネェちゃんのアナウンスだしな〜(笑))
それを苦笑いしながら子守唄代わりにしている主人公たちも、大概にタフな連中なんだけどさ(つかこの辺りの描写が絶妙で、何となく「あ〜これは実際にあった事なんだろうなぁ……」と思っちゃうんだよね)

まぁ、とにかく全編満遍なく、この調子なのだ。

米軍第1歩兵師団〜ビッグ・レッド・ワン〜の第1分隊(つまり最前線において、最も“前”で戦っている小隊)
主人公としてと登場するのは、その部隊において“四銃士”と呼ばれる強運・不死身の若者たちである。
何故か彼らだけは、何時如何なる作戦においても必ず無傷の生還を果たすのだな(彼らを指揮する“軍曹(リー・マービン)”ですら、一度は負傷によって戦線離脱を余儀なくされるのに、である)
んがしかし、戦場において誰も傷つかず、誰も死なず、なんて事は当然ありえないワケで……
つまり描写的に四銃士以外の兵隊は、そりゃもうボロボロと戦死していくのだな(次々と部隊に編入される“補充兵”たちも、まことしやかな四銃士のジンクスに怯えていたりするし(笑))
もちろん4人とも格別に身体能力の優れた、スーパー兵士ってワケじゃない。
ただ異様に“強運”なだけなのだ。
何故か4人には弾が当たらないし、誤って地雷を踏むといった事もないのである。

「何がリアルな戦争描写だよ、うそ臭いな〜」
――いや、そのご意見は至極ごもっとも。
とはいえ、こういったベタな描写がこの映画に限っていえば、“何故か”あまり嘘臭く見えないのだよ、マジメな話。

それは何故か?

おそらくは実際にあの戦争を経験し、そして無事生き残ったヒトたちが、己の実感を込めてこの映画を製作しているからに違いないのだ。
「あの戦争で自分たちが無事生き残れたのは、ただ単に運がよかっただけ」――これこそが戦中派のサミュエル・フラー監督と軍曹役のリー・マービンが出した最終的な結論なんだろうし、唯一のリアリティーだったんであろうことは、この映画を観ていてヒシヒシと実感できるのよ。
で、サム爺さんの昔話としての“最前線物語”は、リアルタッチな“回想録”から次第に奥深いフィクショナルな展開を加味しだし、中盤以降は“戦争そのもの”への真摯な考察を表現し始めるのだな(この辺のウェイトが、旧ヴァージョンの尺では殆ど感じられなかったのよ)
これは実際に先の世界大戦を生き残った人間にしか描けない“あの戦争の総括”であり、また映像作家として避ける事のできない責務だったんではあるまいか?

要するにこの映画の底辺に流れているのは、一個人のヒューマニズムから顧みた“戦場の哀惜”そのものなんである。
逆に言えば、この映画には国家間におけるイデオロギーの是非を問うような、大雑把な視点(高所から俯瞰するような神の視点――つうか、卓上の論理展開)が存在し得ないのだ。
「戦場で相対する敵兵士を人間とは思うな。ただの動物だと思え」が大前提の作品だし、上層部の命令には絶対服従の彼らに、そーいったマクロな思考は無意味なモノなんである(ドイツ側の描写では、ナチ批判をした兵士が上官に銃殺されるエピソードがあるが、それとてドイツ軍を描く際のバランスに過ぎないのだろう)
結局“四銃士にとっての戦争”とは、目の前に歴然と横たわる不可避な“現実”以外の何物でもないのだ(逃げ出すことすら許されない、ね)

連合軍がユダヤ人強制収容所を強襲すれば、ナチスが行った“現実”に対して四銃士の1人〜グリフ(マーク・ハミル)は正気でいられなくなってしまうし、辛うじて救出されたユダヤの名も無き少年も、軍曹の無骨な背中の上でリンゴをかじりながら静かに死に逝くしか無いのである。

そういった“戦場において否応無く繰り広げられる事象”が極めて淡々と描かれ、そして積み重なっていくのみ(まさにハードボイルドである)
つまりこの映画をどのように捉え、何を考え、如何に行動していくかは、観ている観客の手に委ねられるのだ。
まぁ安易に判りやすい説教をかまさないのが、サム爺さんの厳しいところであり、また優しいところでもあるんだろうな。
そしてこのサム爺さん、語り部としてだけじゃなく映像クリエイターとしてもスンバラシイお方で、随所に意味深で美しい映像が表現されているんだよね(オレはいわゆる“映画の受け止め方”ってヤツを、こういったタイプの監督さんに教わってきたんだよねぇ……今回DVDを観直して、ソレをつくづく実感したっス)
前半から中盤は主に地中海が舞台となっており、映し出される陰影深い情景に目を奪われる事がしばしば。
しかもその蒼き海が、Dデイでは連合軍兵士の血によって、時を重ねるごとに次第に赤く染まっていくのである(波間に浮かぶ、死んだ連合軍兵士の腕時計による演出)
――そこに垣間見えるのは、まさに“禁断の美”

あと個人的に一番印象深いシーンをあげるのなら、やはりホロコーストでテンパッたグリフと“名も無きドイツ兵”の対決場面だろうねぇ。
ガス室内部の惨状を目にしたグリフは激戦の中、1人のドイツ兵を焼却炉に追い詰める。
勿論、そこにズラッと並んだ焼却炉は、死んだユダヤ人の火葬を行うためのものである(というよりも、やはり唯の死体焼却場なんだろう。“あそこ”は日本ではないのだから、火葬という概念は無かろうし)
突然グリフに、何処からか炉の閉まる音が聞こえてくる……おそらく先ほどのドイツ兵が、この中の一つに隠れたのだ。
グリフは熱く焼けた炉を一つずつ、慎重に小銃の先端で開けていく(中は当然、高温の為バラバラになったユダヤ人の白骨だらけ)
そして、遂に目標の焼却炉を探し当てるグリフ。
中を覗くと、ドイツ兵はうつ伏せの体勢で小銃を構えている。
両者の視線が瞬間的に交錯し、その直後――ドイツ兵は躊躇することなくグリフに向かって引き金を引く。
が“幸運”な事に、ドイツ兵の小銃は既に弾切れであった。
しかしどうした事か――そのドイツ兵は表情一つ変えずに、再び引き金を引くのである。
当然、弾は出ない。
それでもドイツ兵は引き金を引く事を止めようとはしなかった。

グリフはそんな敵の姿に薄ら笑いを浮かべながら、ゆっくりと小銃の引き金を引くのであった。
1発、2発、3発、4発……
既に戦闘の終了した収容所内に、グリフの銃声が響き渡る。
その止む事のない銃声を不審に思った軍曹が、グリフのところへやってくる。
そして何かを察したのか――
軍曹は弾切れになったグリフに自分の弾薬を渡し、「やれ」と声をかけるのであった……


すげぇでしょ?(笑)
この辺はカットされていた旧ヴァージョンにも収録されており、中学生のワタクシに物凄いインパクトを与えてくれやがったのだ。
ヒトの行為に対する恐怖と麻痺、ソレに伴う必然の狂気。
例え相手が死んでいても、例え弾が出なくても、永遠に引き金を引き続けるしかない、敵と味方というカテゴリーに別けられた、ただの愚かな人間たち。
――これこそが、サム爺さんの語る“戦争”という愚かな事象の、本質なんである。

そして何よりもこの映画が“戦争映画として”素晴らしいのは、個人個人の主義主張に関係なく、人間の命は何時如何なる場合に置いても平等(対等)である、と言い切っている点だろう。

実はこの映画には、主人公たちのライバル的存在として、ドイツ軍将校のシュレイダーというキャラが登場する。
こいつがもう典型的なナチ党のヒトラー信者でさ、全編通してそりゃもうイヤ〜な野郎として描かれているのだ。
だがしかし、この映画は彼と軍曹の間に、意外なドラマを最後に用意しているのだな。

上空より散布されるチラシによって終戦協定が結ばれた事を知ったシュレイダーは、連合軍兵士が潜む眼前の森を白旗を掲げながら歩く。
「戦争は終わった、もう戦争は終わったんだ」
しかしリー・マービン扮する軍曹は、その言葉を信用せずにシュレイダーにナイフで襲い掛かってしまうのだ(ちなみのこの軍曹、前大戦でも同じ過ちを犯している)
無残に倒れ伏すシュレイダー。
しかしそこに四銃士が現れ、軍曹に終戦協定が結ばれた事を告げるのである。
慌ててシュレイダーを介抱する軍曹と四銃士。
「今度は死なせんぞ」
その軍曹の決意と共に、シュレイダーは息を吹き返すのであった――。

決して褒められた人物としては描かれていない敵〜シュレイダーを、終戦と同時に必死になって助けようとする軍曹と四銃士。


“最前線物語”の、映画としての矜持がここにある。

2005年8月18日(金) 



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