高速で飛来する物体あり―― 物凄いスピードです!

サクラ大戦 活動写真 (2001年)

- 帝都外人部隊の歌姫たち -

 先日『サクラ大戦・活動写真』を、DVDで見直した。

 ヴィジュアル面のクオリティは、以前この日記にも書いたんで、今日は触れないでおこう。
 改めて感じたのは、その思想性の凄まじさである。

 ぶっちゃけ、かなり極端な右寄りの思想を作中で語っているのだな。
 今までアニメも沢山作られてきたが、メジャーでここまで『日本における民族主義』を前面に押し出してきた作品って、未だかってあったろうか?(この劇場版サクラに比べれば、『さらばヤマト』なんぞ甘っちょろいセンチメンタリズムに過ぎないもん)
 明確にアメリカを敵とみなし、資本主義による競争原理の悪しき側面を描くストーリーなんだよねぇ。
 同じ立場で交渉する事すら許さない、グローバル・スタンダード。
 無人霊子甲冑『ヤフキエル』の、限りなくアメリカン・ミリタリーな肌触り。
 ――しかもその内部に蠢くのは、忌むべき『降魔』そのもの。
 一度見失いかけた自己の確立の為に、悪魔に魂を売り渡した元星組『ラチェット・アルタイル』
 その合理主義の敗北と、劇中劇における懺悔…。

 こうやって書き上げてみると、著しく偏った思想で物語が紡がれているのがわかる。
 考えてみれば、そもそも『帝国華撃団』なのだ。
 『帝』の『都』を守護する近衛兵団、という肩書きは、伊達じゃないというワケか。
 何より一番まずいと思える描写は、上記した『ヤフキエル』に尽きる。
 ヤフキエルが降魔そのものであるという表現に、作品上の明確な理由付けがなされていないのだ。
 例えば――いままでの『サクラ大戦』における『魔』とは、『過去の怨念』から派生した『敵』という設定であった(つまり程度の差はあれ、大概が因果応報なんである)
 だがこの劇場版は、明らかに違う。
 日本に対するアメリカの態度を、『魔』であると言い切っているんだもんなぁ。
 確かにラチェット個人は、数年前の星組解散に遺恨を残してはいる。
 しかし今回の真の敵――ダクラス・スチュワート社は、帝都(ひいては日本国)に対して微塵も怨恨はないはずなのだ。
 敢えて言えば――
 「この国は美しくない」かららしい。
 凄いよね、この台詞回し。
 でもだからこそ、妙なリアリティがあるのも事実なのだが。
 グローバル・スタンダードを押し付ける側には、こういった蔑視があると語りたいのだろうが……。
 それを美少女メカアニメで、臆面もなく言い切ってしまうところが……、何というか、ね(苦笑)

 ただ、こういった右傾化の物語にも、それなりのバランサーは存在する。

 帝国華撃団が、事実上の外人部隊となっており(純然たる日本人は“さくら”と“すみれ”の2人だけ。カンナは当時の世相を考えれば、余所者だろう)、同系列の組織としてフランス人による巴里華撃団が存在する点である。
 しかも次には、紐育華撃団をも設立しようとしているわけだしね。
 この点において、「日本民族としての誇り」を振り翳す米田の台詞には苦笑を禁じえない。
 だが逆にここで引っかかる事こそが、『スタッフの仕掛け』でもあるのだろう。
 そう――
 思想的なバランスは、このシーンを「ヲイヲイ」と突っ込みながら、観ている者が取らなければならないのだな…多分(笑)

 まぁ、ニューヨーク・テロの前後に製作された作品としては、妙な迫力があるしリアリティもある。
 時世を反映させるという点においては、純粋に作品としても評価できよう。

 だが、あれからまた少しばかりの時が流れて、現時点、である。
 いま、クリエイターたちは、何を思い、何を作ろうとしているのだろう?

 『利家とまつ』の再放送を観ながら、漠然と考える。
 女性を主軸にドラマを描く方法は、確かにいまだメインストリームなのかもしれない(視聴率――つまり人気を取るための)
 しかし「家の中」の感性(主婦感覚?)で世間一般を描くのは、もはやファンタジーとしても温過ぎよう。
 嘘臭さもあそこまでいくと、馬鹿馬鹿しくて文句すら言えないもん。

 平和な空気が蔓延している、そんな時代ならまだ良かった。

 とはいえ、もうこれ以上『人殺し』をするさくらたちを観たくはないのだが……ね。

2002年11月23日(土) 



おやすみ、パトリック……
Great scene select


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