オーバーフリーズには、オーバーヒートだっ!

OVERMAN キングゲイナー (2003年)

- ゲイナー、オーバー! -

 まさに、キングゲイナー、オーバー!!……である。

 遂に最終回!
 いや〜最後まで凄まじかったっす〜

 まず、作画のクオリティは劇場……でも、なかなかお目にかかれないのでは?ってぐらい壮絶。
 動画にはズバリ『スタジオジブリ』の名がクレジットされてるし、原画も物凄い方たちばかりなり(鶴巻氏って、まだアニメーターやってたんすねぇ)
 とはいえコンテは御大なもんで、ある意味、今までにない新鮮な映像になってるといえるかも(これほど作画に恵まれた富野作品を、再び拝める日がくるなんてな(笑)
 お話自体も、絵に描いたようなハッピーエンドでさ……
 面白かったよ、ええ、只ひたすらに楽しかったっす。
 ラストバトルで全レギュラーが集結し、主題歌のインストが流れたりするくだりなんて、わかっちゃいるけど燃え燃えだぜっ!

 確かに、様々な設定が、色々な意味を持って決められてはいるのだろう。
 オーバーマン、オーバースキル(スキッラー)、オーバーデビル、オーバーフリーズ、そしてオーバーヒート。
 「オーバー」という枕詞だけでこれだけの造語があり、一つひとつがきちんとしたメッセージを内包している。
 以前にこの日記にも書いた「ネットワーク」の部分も、シベリア鉄道の存在そのものが劇中で示す通り、かなり重要なテーマとして浮かび上がる構成になってますしね。
 凍てついたゲイナーとシンシアの心が、線路というネットワークを使って、瞬時に世界中を氷に閉じ込めていく様は、悲しくもあり、恐ろしくもあり、妙に美しくもあり……(もっとも、それが反転する瞬間――キングゲイナーのオーバーヒートが、線路を伝って世界に拡散していく様は、かなりのカタルシスなんですけどね〜)

 で、その片割れの少年の閉ざされた魂を開放したのは、好きな娘の危なげなキスなどではなく、若者にとって確かな道標として存在した一個の大人の、文字通り命をかけた叱責だった――ってのが、このお話の肝。

「今時の若いヤツは、なっとらん!」なんて、ジジイが愚痴ってもしょうがない。
 今ワルサをしていたとしても、本当はそんなにワルじゃないのかもよ?(「僕はサタンの申し子かもしれない」と叫ぶゲイナーは、まさにイキがっているだけなんでさ)
 色んな事に対して、経験を積んだ大人の立場から、真摯になってアドバイスしてあげればいいんだ。
 テレビゲームにインターネット?――それも、別にいいじゃないか。
 接し方や使用方法を誤らなければ、それで得られたスキル自体は、ヒトにとって何であれプラスになるんだよ。

 ――みたいな御大の説教が、ある程度見えてはきますがね。
 だからといって、決して若者の嗜好に歩み寄っているだけの、エエカッコしいなジジイではない。
 あくまでも冷静なる現状認知と、飽くなきポジティブ・シンキングがあるだけなんでしょうし。

 ただこのキンゲというアニメーションが凄いのは、そーいった様々な意味性を、土壇場でメインから外してしまったところなのだな。
 つまり、いつも私がここに書いているような小難しいテーマなどは、観ていてどうでもよくなるんですよ、正直な話(笑)
 ――ただ単純に観ていて面白ければ、それで良いじゃないか、とね。
 企画の時点ではどうあれ、最終的な作品の体裁としてそんな風に提示されているし、実際細かいトコでは突っ込み可能な荒っぽい作りとなっている。
 しかしキャラクターたちは常にイキイキと描かれ、只ひたすらに己が目標へと突っ走っていく。
 高水準の作画がそれに拍車をかけており、彼らは何ともチャーミングな立居振舞を視聴者に植え付けていく……

 行き着く先は、ま・さ・にキャラ萌え――である(笑)
 ホント、富野監督も変わったものよな。
 自分がつくった作品世界を、ただの素材にしか考えてないもん。

 ひたすら娯楽に徹する作風。

 ――がしかし、よくよく考えてみると、実はこれにも意味があったり(笑)

 面白く楽しい日常とは、即ち――
 日々を力強く生きる為の活力に他ならないのだから。

 そして、これをもって『エクソダス』そのものである、と。

 ああ、なんだ、やっぱりいつもの富野監督じゃん(苦笑)


   そうさ……面白ければ、オレは何でもやってみせるのさ!


2003年3月23日(日) 



キングゲイナー、オールスターズ……なんか女ばっかデス(笑) アスハム、エンゲ、ケジナン、すまんっ!
Great scene select


HOME