……ジロー?

人造人間キカイダー THE ANIMATION (2000年)

- ピノキオとの恋に堕ちた少女 -

 このレヴューを書くため、数年ぶりに“人造人間キカイダー THE ANIMATION”を一気に観直したワケなのだが……
 やっぱオモシロイわ、これ(笑)

 つか、石ノ森章太郎・原作の映像化作品を語る上で、間違いなくマストとなるでしょ。

 原作の良さを引き出しながらも、1個の映像作品としての完成度も高い。
 つまりこれって、所謂“石森作品”として成立しつつも、“アニメスタッフ”の作品としても成立しておるのだな。
 こういった幸せな邂逅を果たす事が出来たアニメーションは、ワリと少ない。
 “劇場版・銀河鉄道999”
 “ルパン三世・ルパン対複製人間”(“カリオストロの城”は原作の匂いが希薄なので ×)
 後は、出崎作品でチラホラとあるぐらいかね?
 最近じゃ“プラネテス”なんかも良作だったが、やっぱ原作とは違うんだよなぁ……
 そもそもコミックとアニメは似て非なるモノとして存在し、その表現の擬似性から“コミック化”〜“アニメ化”は、常に密接な表裏一体の関係にあるといって良い。
 で、どちらかというとコミカライズよりは、原作コミックのアニメ化が多いワケなのだがね。
 この場合は原作者が表現したモノを、絶対的な“他者”であるアニメスタッフが二次的に表現しなきゃイカンのである。
 このハードルのクリアが、大概の場合普通に難しいのだな(“AKIRA”の大友氏のように自ら監督に当たれば無問題なんだろうが)
 当然、原作はあくまで原案程度に参考―― 実際はアニメスタッフの“オリジナル”と割り切って制作した方が作品的なリスクは少ないだろうし、実際に高評価されるのは“そういった”作品が多い。
 押井作品なんかは、その典型だろう。

 とはいえ、この“キカイダー”や上記した作品群のような成功例もあるワケなんでね、オリジナル性を前面に打ち出す方がより良い制作方法とも言いきれないワケだが(笑)
 さて、ここで今回のお題目――“キカイダー THE ANIMATION”である。

 この作品の成功要因は、間違いなくアニメスタッフの只ならぬ“原作コミックへの愛情”に他ならない。

 特にキャラクターデザイン・作画監督の紺野氏による“石ノ森ライン”の忠実な再現は、もはや尋常じゃないよ、うん。
 ある種“偏執的”というか、何というかさ。
 すげぇ艶かしいし(笑)

 ジローはそもそも記号的なデザイン”(ジージャン姿でギターを背負った、ナイーブな瞳をした美少年)として優れているので、大概は映えて見えるんだがね〜。
 凄いのは、やっぱヒロインのミツコでしょ。

 何の変哲も無い典型的な石ノ森ヒロインのルックス(手塚ヒロインと並んで、少年マンガのデフォルト的な容姿)でありながらも、既存の作品にはない突出した存在感と艶を漂わせているのだ。
 で、これまた典型的な年増面であるミツコの母親〜千草もやたら強烈な存在感を醸し出しているし(あのヤサグレ感がタマランっす)
 石ノ森キャラって男女を問わず、こんなにも色っぽいものだったんスね。
 あまりにも見慣れた絵柄だったもんで、そういった本質的な感触をこの作品を観るまですっかり忘れ去っておりました(笑)

 で、そういった強烈な印象の女性キャラたちを、物語の実質的な主人公として描写しているのが、この作品のスタッフの凄いところなんだよ。
 というのも、この女性キャラ中心のアプローチ、原作には影も形もありませんから(笑)
 だからといって原作から大きく逸脱して見えないのが、この作品のスンバラシイところなんであります。
 オリジナルなドラマを展開しているのに、何故か描写の端々に石ノ森テイストをバシバシと感じ取れる……
 すげぇよ、正直言って。
 どんだけスタッフは石ノ森作品を読み込んでいるんだかね(原作版キカイダーは勿論、個人的には“変身忍者嵐”あたりの一種独特な“血生臭さ”すらも感じるのよ)

 そして何よりも、このミツコ視点の展開が、非常に魅力的なドラマとして成立しているのだな。
 幼い頃より父(光明寺博士)を姉弟から奪い続けていた、研究対象としての“ロボット”への憎しみ。
 母〜千草が家を出てしまい、生後間もないマサルの母親代わりを務める、鬱屈した少女時代。 
 家庭を顧みない父への不満と、それに相反する憧憬に近い依存は、憎んでいたはずの“ロボット工学”への道をミツコに選ばせる……

 そして物語の冒頭――
 キカイダー〜ジローの誕生と光明寺博士の死―― 謎の怪ロボットの襲来。
 明かされる最大のキーワード〜良心回路(ジェミニィ)の存在。

 残された父のメッセージ〜「不完全な良心回路を、完成させてくれ」
 しかしいくら屋敷を探せども、肝心の設計図はどこにも見当たらず……
 そんな折、不完全なジローのココロはギルの笛に操られ、まるで血の命令に従うが如くミツコの首を絞めようとする……

 そもそもロボット自体を憎んでいたミツコである。
 そんなジローを“狂った機械”と揶揄し、「このままだと破壊するしかない」と吐き捨てるのだ。

 確かにジローからすれば理不尽極まりないミツコの命令ではある。
 だが、この時点では与えられた命令の選択が出来ない“はず”のジローなのだ。

 ところが実際はミツコの命令を拒否し、従うべき人間に対して強い姿勢で逆らってみせる……
 つまり良心回路は不完全ながらも、確実に起動しているのだな。

 そしてミツコの元を離れ、自身の魂の逡巡が如く街から街へと彷徨い続けるジロー。
 ミツコもまた、そんなジローの影を追い、戸惑いながらも強く惹かれていく……
 しかしこの時点では、まだジローの良心回路による“人間的なココロ”に強く惹かれているだけで、彼の身体(機械のボディ)に対してはやはり拒否反応を示しているのだ(グリーンマンティスに襲われる“夢”の心象)

 ところが服部探偵社の協力を得て探し当てたジローと再会した時に、ミツコはジローのココロの一端を知ってしまう。
 彼が、己の醜い(機械の)体を恥じており、それ故に自分を避けているという事を。

 そしてロボット側からによる奢り昂ぶった人間への糾弾が、悲喜劇の幕を開く。
 選ばれし舞台は、旧光明寺邸――
 ミツコにとっては失われた過去であり、このロボットを巡る全ての悲劇が始まった場所である。

 「お前はロボットを愛せるとでもいうのか!?」
 機械でも人間でもないコウモリの如き者に図星を指され、否応無く泣き崩れるしかないミツコ。
 もう1人のジローでもあるゴールデンバット(試作型の良心回路)は、ミツコを激しく蔑み糾弾する。
 そして人間寄りなジローを否定する事で、ロボットである自分自身を肯定しようとするのだ。
 しかしジローは「醜い姿をミツコに見られたくない」という己のココロの痛みよりも、ミツコの安否を優先させてしまうのである。
 相対するゴールデンバットは最後の最後になって、自分と同じ寂しさを持ったミツコを助けるために“自殺”という、これまた“極めて人間的”な選択をしてしまうのだった。

 そしてミツコだ。
 醜いキカイダーの姿が、己の危機を救おうとしてくれたのだ。
 醜いキカイダーこそが、ジローの魂が宿る“愛すべき器”なのだ。
 寂しさに震えるとき、ずっと傍にいて欲しいのは“そんな”ジローなのだ。

 こういった認識のしかたは以降、彼女の中で非常に大きな影響を与える続ける事になる……
 それは実母〜千草との再会で、極めて激しい女としての生き様を見せ付けられた事により、一層強くなったのかもしれない。

 そうなんだよなぁ……。
 母娘の再会というよりも、女同志の愛憎劇に近いんだよね。
 愛する男(ギル)から受けた任務の為とはいえ、千草は本気でミツコを殺したがって(否定したがって)いたみたいだし、そのくせマサルには“良母”たらんとしているのである。

 任務の為につくった子供とはいえ、それなりに可愛さを感じ始めたミツコへの嫌悪。
 そも、愛する男(ギル)との娘ではない事実。
 その癖、マサルの母親役を奪われた嫉妬でも感じているのか?
 加えて“好きな男”(ジロー)とチャラチャラしていられるミツコへの嫉妬も大きかったのか?
 もしかすると「ジローの眼前でミツコを殺せ」というギルの命令を、ある意味喜々として受けたのかもしれないのが、千草という女性なのである。
 つまり“光明寺とお前との娘を、殺せ”と、ね。

 これほどまでに“ギルへの報われない愛”へ身を捧げている母親を、ミツコは一体どんな面持ちで受け入れたのだろう?

 いや、ミツコは受け入れられなかったのだ。
 千草がミツコをどう思っていても、ミツコにとってはたった一人の母親だったのだから。

 だから絶望する。
 しかしその絶望の中でもミツコは、最後まで1人の娘として千草に甘えようとするのだ。
 「最後まで騙していて欲しかった」
 「お願い、殺して」
 ――とね。
 しかしミツコの愛する男〜ジローは、そんな彼女の絶望(死)を許さずに激昂し、そのままサブロウの口笛による誘いもあってか(つか、キカイダー暴走の描写的な理由はコレ)、無目的に過ぎる破壊と暴力へ己が身を委ねていく……

 そんな中、ミツコは光明寺の隠した“良心回路”の設計図を入手する。
 ジローの人間性の象徴でもある“ギター”の中から発見されたのも意味深だし、わざわざギター(人間性)が破壊された時に初めて気付くように設計図を隠した光明寺もかなりのアレである(笑)

 ここからのミツコの選択が、非常に重要な分岐となる。
 己の持つ“ロボット工学”の知識を、完全な良心回路の完成に役立てるのか?
 それとも傷ついた機械の体の修復に役立てるのか?

 で、物語の実際的な経過はともかく、だ。
 結局ミツコは不完全な良心回路をそのままに、彼の失われた左腕の修復を選択するのである。
 これは、あるがままのジローの魂を受け入れ、その忌むべき身体の回復を強く望むという、ミツコの想いの発露に他ならない。

 ここに「生身の人間が、機械の人間を愛する」という、極めて倒錯的な恋愛が、その身体性を伴って完成するのだな(笑)

 誰の手も借りずに、たった1人で夜通しジローの体を修理する“あの描写”は、やはり強烈なモンがある。
 しかしここで受ける“負”のイメージは、この物語において拭いようが無いのだ。

 何故ならミツコは絶対にジローの子供は産めないワケだし、これからの人生を共に生きる事は出来ないのだから(わかりやすいところでは、“加齢”の問題もあるだろう)
 そうなんである。
 ミツコもまた、母〜千草と同じような人生の選択をしてしまったのかもしれないのだ。
 報われる事の無い愛に、その身を捧げ続けるという――

 そしてクライマックスにおいて、突然彼女に訪れる“父〜光明寺との再会”

 加えて連鎖的に起こった“ダーク壊滅”という物語上の必然を経て、遂にジローはミツコの元を去ってしまうのだ。
 「ロボットの匂いが、ミツコを不幸にする」という、光明寺の言葉を受けてね……

 しかし、本当にそれで良かったのだろうか?

 ジローが居なくなってしまったために、ミツコは恋の牢獄から永遠に、それこそ死ぬまで逃れられなくなってしまったんじゃなかろうか?
 最後に服部たちへ見せたミツコの笑顔は、それを示唆しているようにしか見えないのである。
 そして、この物語を最後まで見届けた私も正直な気持ち、ミツコにはジローを待ち続けていて欲しいのである。

 永遠に、ずっと、あの白いワンピース姿でね。


 「ああ、人間とは、何て残酷な生き物なのだ!」

 ――等と、ゴールデンバット調に締めくくってみたり(笑)



2005年11月26日(土) 


ミツコさん……ボクを見ないで!
Great scene select


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