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ハイランダー 悪魔の戦士 (1986年)

-Who Wants To Live Forever-

 「ヒ〜ウィア〜、ボーントゥビキングス〜プリンシスオブザユニバ〜ス〜」

 フレディ・マーキュリ−の強烈なボーカルと共に、思わずググッと身を乗り出して画面に見入る。
 場面は現代アメリカのプロレススタジアム。
 当時発明されたばかりの空中移動カメラがダイナミックに会場全体をなめながら、やがて周囲の喧騒をよそに1人静かに席に座り続けるロングコートの男を捉えていく。
 次いで舞台は地下駐車場に移り、格闘ショウであるプロレスとは正反対の、不死身の超人たちによる壮絶なガチンコバトルが始まるのであった……。

 って、何なんだ?
 ――オレが今感じている、この異様な高揚感は?
 ワクワクがどーしよーもなく止まらないのだ。
 初見の際はこんなに盛り上がらなかったんだがなぁ(苦笑)
 この映画は既に劇場公開&TV放映で最低2回は観ているし、実を言えばそんなに“出来のいい”映画だとも思っていない。
 しかし最近になってマイケル・ケイメン作曲のメインテーマを聴いていたら、何となく映画本編も観直したくなってさ―― ついついAmazonで“ポチッ”としてしまったのだな(笑)

 で、実際のハナシ――
 画面上で繰り広げらる殺陣は最近のスターウォーズあたりとは比べられない程にショボイし、ビデオクリップ出身であるラッセル・マルケイの映像は“創り過ぎていて“鼻に付く部分も多々ある。
 構成も現代〜過去を行ったり来たりで、妙に落ち着かないし……その場その場では盛り上がっても、ドラマ全体を通しての勢いが持続しないのだ。
 とまぁ、冷静に評価すれば、やっぱどー贔屓目に見ても完成度の高い映画じゃない罠。

 しかし何やシランが、今回のDVD視聴でメチャクチャ燃えてしまったのも事実(笑)

 その理由を考えてみるに――
 まず、既に物語世界の概略を充分すぎる程に見知っている、という点が大きいのかもね。
 というのもこの映画、前述したようにビデオクリップ的な編集のせいか展開がかなり慌しく、観る側も場面を一つ一つジックリ噛み締めながら味わうというのがムズイのだ。
 その上ファンタジー的な作風なもんだから、“作品独自の情報”を理解するのも含めて、どーしても一見さんには敷居が高くなってしまうのである。
 しかし大筋を把握した上で観ると、そういった難解さは当然無くなる。
 逆にパズルのような構成がカチッカチッと嵌っていき、観直す度に予期せぬ発見があったりするのだな。
 キャラクターたちの心情も、かなりストレートに伝わってくるしね(確かにTV放映時も、今回程ではないが楽しめたもんなぁ。吹き替えで解りやすかったし。ただ、かなりカットしてあったからね……30分ぐらいか?)

 で、今回視聴したこの作品の私的評価――

 映画としての完成度は低いが、物語性や語られる精神性には大いに共感。
 つか、こういったオハナシは、個人的に大好き!

 ――ってトコロだろうかね(笑)
 そういうわけで、ここからは私なりに咀嚼した“ハイランダー”と名付けられた物語について。

 私的に解釈した結論から書けば――
 この作品で描かれる“不老不死の超人たち”の存在意義とは、永き時の流れの中において得られる“知識”と“知性”の積み重ねであり、イコール人類の歴史の蓄積“そのもの”なんである。

 マクラウドの師〜“古き超人”ラミレスが劇中で語るように、何故超人たちがこの世に遣わされたのかは、誰にも解らない。
 ただ彼らは、いずれ訪れるだろう“集合の時”までひたすらに生き続けなければならないのである。
 気が遠くなるほどに長い――悠久の時の中をね。
 しかも“集合の時”とは、超人同士が互いに殺し合い、倒した相手の命を喰らう事によって、その膨大に溜め込まれた知識や経験(オーラ=力)を我が物にする事なのだ。
 そしてその戦いを潜り抜け“最後に生き残った者”こそが、人類最大の秘宝を手に入れることが出来るのである。
 その秘宝とは―― そう、人類の歴史そのものであり、人類が育んだ“叡智”の結晶なのだ。

 しかし選ばれし超人たちも、決して聖人君子なんかじゃない。
 その辺にいる“普通のメンタリティーを持った人間たち”なのである。

 つまり、“誰が”秘宝を手に入れるかで、人類の辿ってきた軌跡の“評価”が下されるという寸法だ。
 しかも最後に残った2人の超人〜マクラウドとクルガンは全く正反対の価値観を持った男たちである。
 この2人のシルエットは、まさに“聖と邪”であり“光と影”、そして“理性と本能”の合わせ鏡ともいえよう。
 もし邪悪なる黒騎士クルガンが、この星の王となってしまったら……
 ラミレスはそういった人類全体の危機を感じたために、超人たる己(エゴ)を捨てマクラウドをクルガン以上の戦士に育て上げようとしたのだ。
 つまり“世界(生命)の息吹”を感じることこそがマクラウドの覚醒となり(始動感覚)、死と破滅を呼び込む無敵のクルガンに対抗し得る唯一の力となっていくのである。

 やがて刻は流れ……
 人類の歴史は現代において“ある到達点”に達しており、必然的に超人たちは不可避な運命としての“集合の時”を迎える事になる。
 そう―― ファジルを倒したマクラウドと、カスタギアを屠ったクルガンの、2人の超人による人類の未来を賭けた決闘が、華やかなりしニューヨークの摩天楼を舞台に、今まさに幕を開こうとしているのだ。

 それは果たして“最後の審判”なのか――?
 う〜む、こうやって書き上げてみると、やたら壮大なオハナシだよなぁ(笑)
 しかもある意味、ファンタジーの王道的展開だし。

 ただマクラウドたち“超人”の存在意義が作中で解りやすく説明されないので、少なくとも上記程度の情報を観客側が推察できないとこの映画は「なんじゃ、こりゃ」になっちまうのである(ムチャクチャな時系列のドラマ展開も“難解さ”に拍車を掛けている)
 実にもったいない……人にも薦め辛いしさ。

 ただオレは好きよ、うん(笑)

 何だかんだいって登場するキャラクターが皆魅力的だしな(やっぱここがツマランと、いかに作中で良い事を語っていても、観ていて退屈するからね〜)
 クリストファー・ランバート演じる主人公マクラウドは、辿るその数奇な人生(苦笑)にやさぐれつつも、妙に子供っぽいピュアな瞳をしてみせるのが印象的。
 師ラミレスから譲り受けた日本刀“マサムネ”を構える姿も、映像的にスゲェカッコイイしね(つかこのコナー・マクラウド、この手のSFファンタジーで良く見かける“日本刀を持つヒーロー”の、所謂“ルーツ的キャラクター”だよね)

 そしてマクラウドの宿敵〜黒騎士クルガンも、“ラオウ”ばりの無敵ぶりが実にカコイイ!
 しかもコイツ、時代の変転と共に、段々変態になっていくし(笑)
 まぁ、このクルガンはマクラウドと対のキャラだからね。
 死生観も含めて、マクラウドとは真逆な――ある意味ハードコアな生き様へ向かうしかないのだな(象徴的なのが、やはりブレンダを誘拐した後の“ニューヨーク、ニューヨーク”だろうね。あの自暴自棄さ加減には、個人的にちょっとだけ同情しちゃうッス)
 そしてショーン・コネリー演じる古き超人ラミレスである。
 とにかくコイツは謎が多い。
 マクラウドと出会った当事はスペイン人で、“その前”はエジプト人。
 しかも“紀元前300年”には日系の女性を妻にしており、その際にマサムネ作の刀を貰い受けているのだ。
 ここでオモロイのが、我々日本人なら当然湧き上がるだろう「紀元前300年に“こういった日本刀”は存在しないだろ?」という突っ込みが、なんと作中においても正式見解なんである(ブレンダ嬢曰く「石器時代にジャンボジェット機があるようなモノ」なんだそうだ)
 はてさて、これはどーいう事なのか?
 その“日本人妻”はラミレスにとって3人目(で最後)らしいし、彼自身は紀元前1000年には“超人化”したらしいのだが……
 詳しく語られる事の無い超人たちの謎の根幹が、ここら辺に秘められているようなんだがねぇ。
 う〜ん、今更ながらに知りたいぞ(笑)

 そうそう、時空を超えてマクラウドに絡む4人の女性たちも、実に魅力的かつ興味深いのである。

 まず1人目は、超人として覚醒する前にマクラウドが付き合っていた村娘〜ケイトだ。
 あんなにもマクラウドを慕っていたのに、彼が死の底から蘇ったとたんに、悪魔呼ばわりで憎悪をむき出しにするのである。――しかもどの村人よりも一層厳しく、そして残酷にね。
 ……何か女ってスゲコワーである(笑)
 愛情が深ければ深いほど、反転した時の感情は激しくなるってことかね。
 まさに可愛さ余って憎さ百倍ってところか?(違うだろ、この例えは(笑))

 次に出会うのがマクラウドにとっての永遠の恋人〜ヘザーである。

 この娘が実にキレイでカワイイのだ(笑)
 ビーティー・エドニーなる女優さんなのだが、笑顔が実にグッジョブ!
 しかし彼女も当然の如く、違う時の流れを生きるマクラウドの悲劇に巻き込まれてしまうのである。
 しかもラミレスが倒された際に、クルガンに乱暴されてしまい……

 う〜む、そう考えると、彼女の“今はの際”の言動が実に切ないよなぁ。

 ただ問題なのが、この辺の描写は物語の構成上、後で思い返さなきゃ感慨に浸れんのである。
 つまり最低2回は見ないと、ヘザーの心情をじっくりと味わえないんだよ(ワザとそういう見せ方をしているっポイが、こりゃ明らかに失敗だろ)

 んで3人目は、第二次世界大戦時にマクラウドがドイツ兵の魔の手から救った戦災孤児〜レイチェルである。

 このレイチェルがまたイイキャラなのだ。
 マクラウドが不老不死なのを知った上で、40年間ずっと彼のパートナーとして生きてきらしいのである。
 ただしヘザーと同様の悲劇を恐れてか、マクラウドはレイチェルに対して敢えて“そういった感情”持たないように努めてきたらしい。(無論、永遠の愛を誓ったヘザーへの操もあったのだろうが)

 では何故、彼は孤独を選ばずにレイチェルと共に半世紀を歩んできたのか?
 恐らくは、“子供”が欲しかったのだ。
 ヘザーが最も望み、そしてマクラウド自身も望んでいた“残すべき証”としての生命がね(不老不死の超人たちは皆、種無しなんである。ま、そりゃそーだろうね。それが世界の摂理(バランス)ってもんだろうし)
 しかしやはり不老不死の彼の前では、育て上げた子供すら無常にも老いて行く……
 しかもレイチェルは、どーやら未婚のようなんである。
 彼女が、マクラウドの事をどのように想って生きてきたのか、何となく察しがつくよね。
 ヘザーに続いて、二度目の泣きドコロである……

 最後の決戦に向かうマクラウドを見送る、レイチェル。
 彼は、もう二度と此処には戻ってこない……何故なら不老のマクラウドにとって、今がちょうど“世代の移ろう時”なのだ。
 つまりクルガンとの決闘に勝とうが負けようが、この時がレイチェルとマクラウドの今生の別れなのである。
 あうぅ……

   そしてマクラウドが最後に出会うヒロイン〜ニューヨーク市警鑑識課のブレンダである。

 実は彼女こそがメインのヒロインなのだがね、個人的には、ま、フツーの思い入れでしか見れなかったり(笑)
 悪くも無ければ、取り立てて魅力的でもないという。
 ヘザーやレイチェルがキャラ的においしすぎたからなぁ(あとルックス的にも)

 ただ彼女って、物語的には必要不可欠な存在でもあるのだな。
 というのも、マクラウドが手に入れる最後の秘宝の話になるんだがね。

 一応劇中じゃ、“秘宝”とは膨大な量の人類の叡智であり、世界中の人々の思考が読める能力の事だと、説明されてはいる。
 しかし実はマクラウド本人がサラリと語っている通り、「子供が作れる」ようになった事こそが、彼にとって何よりもの“お宝”だったに違いないのだ。
 愛を育み、子を育てる……

 そして、クライマックス――
 勝者となったマクラウドを祝福するように、ラミレスのモノローグがオーバーラップする。

 感じるか、その命の鼓動を?

 生きるとは……人類の歩む道とは、まさにこの道標にあるのだ。

 そして「クルガンがもし最後の覇者となっていたら?」とイメージする事によって、その啓示はより明確になっていくのである(クルガンとブレンダの“死のドライブ”を顧みれば、非常に解りやすい)

 うむ、お見事!





2006年1月19日(木) 


誰が永遠に生きることを望むだろう……?
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