夢の中の鵺たち

新選組!! 土方歳三最後の一日 (2006年)

- 市村鉄之助、奔る! -

 正月時代劇“新選組〜土方歳三最後の一日”は、期待通りにオモロかったなぁ。
 つか、期待以上かもね。

 ま、詳しいレヴューはDVD購入時に書くとしてだ(笑)
 とにもかくにも三谷脚本の絶妙さ、である。
 伏線〜消化〜伏線〜消化〜伏線〜といった、1年間かけて放映されたTVシリーズの“全て”を把握している(憶えている)としか思えない構成は、まさに超人的。
 あの“ろまんち”という台詞や、最後の近藤の「トシ……」というフラッシュバックなど、全てが深い意味性を伴って描かれているのだな。
 今回初見の視聴者もそれなりに楽しめるとは思うが、やはり一年間を通して“新選組!”を視聴していた者にとっては、最高に贅沢な、痒いところに手が届くエピローグになったと言えよう。
 とはいえ以前からの伏線消化だけが、今作の魅力では決して無い。
 新登場の榎本武揚(ドラマ的には初登場)に大鳥圭介の2人は非常に人柄〜行動原理が解りやすく、且つ三谷流に魅力的な人物として描かれているしね(最後に見せる大鳥の慟哭には、ちょっとクルものがあったッス。吹越満はやっぱ上手いなぁ)

 それと「最強生物は、鵺<人間」のくだりがスゴク良い!
 特に現実の世界におけるモンスター〜鵺の成立と、その“力”の抑制が不可能である点が興味深いッス。
 ある意味、実にリアルな比喩だと思うしね。
 さしずめ“鵺=集団化した(個人のメンタリティーを失った)人間たち”ということかね?
 そして理想主義者だった山南の「鵺<人間」という見立てが否定され、現実主義〜合理主義な土方の「鵺>人間」が的中してしまうのである。
 榎本は土方を“ろまんちすと”と呼んだが、やはり彼は自身の語るとおり徹頭徹尾“現実主義者”だったということだ(この場合、“鵺”という架空の生き物を土方が信じている〜云々は、どーでもいいことなんである。要は情報としての“鵺”の身体性であり、もし実際に鵺が存在したなら、それは最強生物だろう、という判断を土方が下した事に意味があるのだな)

 ま、そんな土方だからこそ、“ろまんち”である近藤や榎本、そして山南に惹かれるんだろうしね。
 憧れつつも自分には持ち得ないモノを、彼ら〜“ろまんち”達は持っている。
 だからこそ“自分の夢”を彼らに託す、という構図なのだ。
 しかしその“ろまんち”たちの夢は、ことごとく挫折していく……
 山南は夢半ばに腹を斬り、近藤は無念の斬首。
 そして目の前にいる榎本も、蝦夷立国の志半ばにして膝を折ろうとしているのだ。

 土方は近藤が亡き後、既に“死に体”だったワケだが、ここに来てラストチャンスとばかりに己の生に執着してしまい、再び夢を見始めるのだが……
 ま、クライマックスはタイトル通りの展開なワケで(苦笑)、やっぱ辛いモノがあるよね〜。

 正直に書けば“新選組!”本編の時は、この土方ってキャラ、あんまり好きじゃなかったのだ。
 言う事とやる事が違っていたりしてさ、何か自己中臭かったし。
 しかし今回のお話でようやく“三谷土方”の性根が見えてきて、「あ、コイツ好きかも」と思った途端に“南無〜”ですからね(笑)
 ほんと、本編でこういった描写をやってくれていれば、1年間もっと楽しめたのに。
 ま、良いさ。
 とにかく個人的には最高のエピローグだったよ。

 あとやはり演出の吉川氏は上手いなぁ……
 “流山”も絶品だったが、今回も実に渋いカメラワークで魅せてくれたッス。

 そうそう、最後の市村少年の姿にも、これまた感涙ですよ〜
 つか、新選組!本編の最終回における土方と同じなんですよね、アレ。
 彼の全うした“以降の人生”を知れば、あのラストシーンがより感慨深くなるのだ。

 やっぱ三谷幸喜はスゲェ!
 
   

2006年1月6日(月) 



 やられたなぁ……三谷幸喜にはさ。
 先日、待望の“新選組〜土方歳三最後の一日”のDVDを購入し、さっそく観直したのだが……
 どーやら初見では、迂闊にも氏一流のフェイクに引っ掛かっていたようなんである。

 というのも、劇中における“鵺”についてなんだがね。

 山南はかって試衛館で以下のように語っていたんだよな。
「この世における最強生物とは、想像上の生物である“鵺”ではなく、人を欺く“ヒト”ではないのか?」――とね。

 で、それを受けて土方は
 薩長の連合軍(寄せ集め)=鵺
 幕軍=人間

 ――と定義し「人が鵺を倒す」と意気込むのだが、結局は予想外の奇襲攻撃を受け、幕軍は五稜郭にて壊滅してしまうのである。
 つまり土方の策は破れ、それと同時に山南さんの示した定義〜「人>鵺」も否定されてしまうと。

 しかしよくよく考えると、この辺の描写を額面どおりに受け取りすぎてたんだよね、オイラ。
 山南さんの意見が土壇場で引っ繰り返るってのも、如何にも“らしい”しさ(笑)
 まぁブッチャけて書けば、実際はその正反対の描写だった事が、今回の視聴で読み取れたのである。
 土方たち幕軍こそが“鵺”であり、その怪物を薩長の“人”が欺き、そして破ったというね。

 結局、榎本武揚の蝦夷地に対する“夢”が、土方の武を呼び込み、大鳥を奮い立たせたんである。
 つか、榎本自身が「我らは日本“最強”の軍隊だ」と言い切っているからなぁ……

 つまり実存性の危うい“夢幻の軍隊(怪物)”は幕軍の方だったのだ。
 そして土方歳三こそが「鵺の持つ“虎の腕”」だったと。

 劇中で「いろんな藩の寄せ集めな官軍こそが、鵺」と断言していた土方に、ものの見事に騙されちまったよ(笑)
 土方は敗者なんだから、その正反対の意味になるってのは、冷静に考えればすぐに判っただろうにさ。
 流石は三谷幸喜といったトコロか。
 ちょっと、悔しいッス。

 で、以上のように、最後の最後になって山南さんの「人>鵺」は見事に肯定されたワケだがね。
 土方もそういった意味では、涅槃で喜んでいるんじゃなかろうか。
 劇中で散々描かれているように、土方が近藤以外にもっとも敬意を示していたのは、紛れも無く山南敬助その人だからな。
 そうそう、深読みついでにもう一つ――
 今回の五稜郭って、じつは池田屋事件と同じ構造にもなっているんだよね。

 榎本=近藤
 大鳥=山南

 ――と考えれば、非常にわかり易い。
 榎本と近藤の類似性は土方自身も語っている通りだし、大鳥と土方の理解しあうプロセスは山南とのそれに非常に近い(大鳥と山南は、符号としての“けいすけ”繋がりでもある(笑) そもそもこの辺の事実関係に三谷氏がインスピレーションを感じて、本作の構成をしたのかも)
 で、このように各キャラの立ち位置を意識しながら観ていくと、ドラマにちょっとばかりオモシロイ意味合いが垣間見えてくるのだ。
 例えばがっちりとお互いを認め合う土方や大鳥を前にして、榎本が「おいおい、私を抜きにして心を通わせあうのは止めてもらおうか」とか言っちゃったりするワケよ(笑)

 多少ホモセクシャルな感じがしないでもないが、新選組!本編で近藤が榎本みたいな台詞を吐いていても、何らおかしくないような気がしてくるのな(実際“友の死”前後の土方と山南は、斉藤が語ったようにこれ以上無いほどの信頼関係で結ばれていた)
 まぁ、この五稜郭戦における土方の故山南への精神的依存度は普通じゃないからね〜

 で、今回土方が発案した策も、実は“池田屋”と全く同じ手筈を取っているのだな。

 大鳥(山南)が五稜郭(新選組屯所)の守りを固め、土方隊が攻めの意識で慢心している敵の虚を突き、敵将黒田の本陣(池田屋)を攻め落とす、という段取りである。
 ここまで一緒だと、土方の脳裏には当然“池田屋”の一件があったに違いあるまいて(榎本には“桶狭間”の例えで説明しているが)
 だからこそ「オレたちは勝てる」と、妙に自信たっぷりに言い切れたんだろうし。
 しかし、結果は惨敗。
 敵は鵺たちの裏をかき、鵺の尻尾たる蛇〜“蝦夷新選組”に喰らいつく。
 土方は榎本に生き続ける事を望みながら敵銃弾に倒れ、そして大鳥は土方の死(幕軍の敗北)に慟哭するのであった……

 ほ〜ら、前回のレヴューとは正反対の事を書く羽目になっちまった(笑)
 ま、読み比べるのも一興ということで、恥を覚悟で同時にアップしておきますがね。

 しかし何とも奥深いオハナシである。
 降伏を考えていた榎本は、夢から現実に回帰してしまった“リアリスト”であり――
 鵺が最強生物だと語り、榎本を夢の世界に引き留めようとした土方こそが、榎本が評するように紛れも無いロマンチだったのである(その実際的な合理主義とは裏腹に)
 そして大鳥圭介だ。
 彼は土方や榎本が軍議を始める前に、1人ジオラマ(笑)を前に策を練っていたのだがね。
 よくよく映像を観ていると、彼が手にしている駒は、何と“香車”

 もしかしたらあの時点で、彼の脳裏には土方と同じ策が閃いていたのかもしれないのだ。

 この辺の仕事は演出の吉川氏かもしれんが、いやはや実に細かい。
 御見それしました(笑)



2006年5月6日(日) 


みんな、いなくなっちまった……
Great scene select


HOME