恨みは深いムー原人……稲妻轟く、変身の時――!

鉄人タイガーセブン (1973年)

- 悲痛なるカウンターヒーロー -

 確かにTVドラマのカテゴリーで捉えれば、特撮作品ってのは所詮マイナージャンルなのかもしれない。
 しかしその中においても、円谷や石ノ森などはメジャーな方なんだとつくづく思う。
 再放送は幾度となくやってるし、ビデオはレンタル屋に置いてある確立が高い。
 それに定期的なリメイクや続編製作と、タイトル自体がいつまでも色褪せる事はない。

 しかしその傍流にある作品は、どうしても忘れられがちである。
 視聴者(子供)にとっては、どの作品も等価値なのにね(ガキは製作プロダクションなんて気にせんもんな)
 要はおもしろいかどうか、なんである。

 で、スペクトルマンやライオン丸、ザボーガーといったヒットシリーズを製作したピープロである(しかしスペクトルマン以外、全部第二期でコケてるのがなんとも)
 なんせ小学生の頃に観たっきりなのだ。
 この一連の作品が、大人の感覚からいってどういった作品内容だったか?――な〜んて判るはずもないもんなぁ(アニメックの池田憲章のコラムで、スゲェスゲェと褒めてあったのは憶えているが(苦笑)
 で、何故か今頃になって鉄人タイガーセブン にハマっているワケなのです(DVDボックスをマジに買いたいぐらい)

 これが凄い作品なのよ、今になって観なおしてみると。
 オレもいろいろと特撮モノを観てきたが、こういった作品は他に類をみないと断言できるっす。

 例えば特撮ものの傑作といえばウルトラセブンなどが一番に思い浮かぶが、本当に素晴らしいエピソードと評価できるのは数話に一話である。
 つまりシリーズ通して素晴らしいかというと、そういう作品は殆ど存在しない事に気付く。
 傑作と名高いイナズマンFにしても同様だし、怪奇大作戦にしてもしかり(ま、最近の平成ライダーシリーズは、トータルで高クオリティだと思うけどね……つーか、アレはむしろ、突出して出来が良い回がない。これは、ある意味寂しい)
 ところがピープロの作品は、どれもシリーズとして比較的高水準なのだな。
 スペクトルマンは結構波があるが、次に作られた快傑ライオン丸はかなり魅せる物語(連続物としての)となっている。
 ――で、次に異様な物語性を誇る風雲ライオン丸へと続き、そしてある意味究極のヒーロー物といえる鉄人タイガーセブンが製作されるのだ。

 そう、まさに究極なのである。

 現代社会における英雄の在り方、というのを真正面から描こうとしており、驚くべきことにそれがある程度成功しているのだな(風雲ライオン丸はやはり時代劇のせいか、タイガーセブンほどのハードさはない)
 物語の基本設定は他作品と比べても、何の変哲もない。

 古代ムー原人が現代に蘇り、自分たちを地中深くに追いやった現人類に復讐を始めようとする。
 とりあえず手始めは、ムー原人の存在を察知した日本の考古学チームの抹殺だ。
 ……で、そのついでに日本列島を襲い始めるというワケ。
 しかしムー原人に襲われた考古学者の息子・滝川剛が、古代エジプトの伝説の英雄(笑)〜タイガーセブンとなって、日本の平和を守るために孤独な戦いを始めるのだった……
 ――とまぁ、こんな感じのいかにもな設定である。

 しかし、その切り口が独特なのだな。
 まず主人公たちの属する組織が、ある意味凄い。
 ただの大学の研究室なのだ。
 頼りになるはずの警察はムー原人の存在を認識しておらず、事態の打開には関わってこない……つーか、むしろ主人公たち高井戸研究所をキチガイ呼ばわりして、邪魔ばっかりしくさる(苦笑)
 故に主人公たちにまともな武装はなく、必然的に襲い来るムー原人に対して素手で立ち向かう事になる。
 そうなのよ―― これが観ていてメチャ怖いのさ。
 実際、レギュラーキャラの北川史郎と林三平の二人組みは、いつも負傷し包帯を巻いていたような気がする(終盤はライフルで武装するけどね)
 しかしこーいったリアルな描写は、別の効果となって物語に機能することになる。
 次々と人間が襲われ死んでいく場面で、仲間たちがありったけの勇気を振り絞って素手で原人に挑みかかるのだから……
「早く、早くタイガーセブン来てくれ!」――とハラハラドキドキになるのだ。

 で、爆煙をあげながらバイクで現場に向かう滝川剛――そして変身!(この辺はトライチェイサーで現場に急行する五代の姿をイメージしてくれれば、判り易いかも。通信機の有効利用もクウガと同じドラマ構造)
 バックにはタイガーセブンの主題歌が鳴り響き……ファイトグローブ〜そしてドッカーン、である(笑)
 そういった見せ方が序盤は続き、タイガーセブンのヒーローとしてのカタルシスが完成する。
 ところが中盤になると、そのヒロイズムに暗雲が漂いはじめる。
 つまり、守るべき対象を守りきれない局面が多くなるのだ。
 それは大学の後輩の女の子であったり、剛を兄と慕う次郎少年であったりする。
 当然といえばその通りで、いくら無敵のタイガーセブンとはいえ、個人の出来ることには限界があるのだ。
 しかもムー原人に襲われた被害者を助けようとして、その家族に誤解され殺人者呼ばわりされたり……
 変身しようと現場から離れたところを北川に目撃され、「あいつは臆病風に吹かれて逃げ出しやがった」――などと罵倒されたり……(第19話「タイガーセブンの唄が聞こえる」は渋すぎる傑作!)
 次第にヒーローである事の辛さが、剛に重く圧し掛かってくる。
 それでも彼、滝川剛は悩み傷つきながらもそのつど立ち直り、果敢にムー一族と戦い続けるのだ。
 しかし終盤になっても剛を取り巻く状況は一向に好転せず、世間は容赦なく彼に辛い仕打ちをし続ける。

 変身しようとバイクからジャンプして、そのバイクがたまたま少年を轢いてしまったり(これなんか観ていてドッヒャー!である)
 北川の父がムー原人に殺されてしまい、一人っきりになった妹が寂しさのあまりに「兄を私に返して」と剛に詰め寄ったり(ちなみにこの北川、独力で海坊主原人を倒し、見事父の仇をとっている。戦闘員以外の怪人を一般人が倒すなんてスゴすぎ。ちなみに決め技は『必殺暗黒流れ星』である……って例の伊吹兄のアレですよ(笑))
 そして終盤――次郎が仲良くなったサーカスの少女も、タイガーセブンの眼前で無残に殺され……
 ついにヒーロー滝川剛は、己の戦場から逃げ出してしまうのだ。

 とはいえ、この手の話でよくある『自分の正義に疑問を持ったから』……ではないのがミソ。
 ただ単につらいから逃げ出したのである(まぁアレだ。わかり易く書けば、つまりは“碇シンジ”と同じなんだな)

 で本業のレーサーに復帰するも、そのパートナーまでムー原人に殺されてしまう(勿論、剛の巻き添えである)
 しかしそれでも剛は逃げ続ける……
「オレはもうお前たちとは戦いたくないんだ!」という血の叫びと共に。
 ジュンの愛の告白を聞いても、その決意は変わらない。
 そんな中、剛の良き理解者だった高井戸博士もムー原人に殺されてしまう。
 タイガーセブンがいない状況で、単身ムー一族に挑んだ結果である。

 後に残された北川と三平の二人は、死を覚悟してムー原人に立ち向かう。
 剛は高井戸の残した遺言をテープで聞き、自分の人工心臓の寿命が残り少ない事を知る……

 そして彼は、ついに最後の変身をするのだった。

 …………

 なんなんだろう、この雰囲気は?
 現実に希望を見出せない、この閉塞感は……
 中盤から脚本で参加している高際和雄のカラーが強いのは、間違いないんだろう。
 しかし他の脚本家――藤川桂介や上原正三といった特撮ではよく見かける方々も、同様に社会的なメッセージ性が強いハードな物語を書いている(特に藤川の犬原人の話は傑作!)

 あの時代……昭和40年代。
 以前日記にも書いた“風と雲と虹と”と同様、学生運動の敗北といったモノもあるだろう。
 当然、時期的にアメリカン・ニューシネマの洗礼もあるんだろうし(ちなみにあの時代は映画〜テレビ問わず、ヒーローの敗北――つまり死で終わる作品が異様に多い。しかも美化された死ではなく、惨めで情けない描き方のね。太陽にほえろや探偵物語を例に出すまでもなく)
 そういった時代性とは別に、実際的な状況としての問題――
 例えば、特撮ヒーローの過剰供給といった側面もあるだろうし、映画人のテレビドラマ流出も理由の一つかもしれない。
 何にせよ、今となってはありえないような特撮ヒーロー物を、あの時代そのものが作り上げてしまったようだ。

 しかし子供向け作品としては失敗作じゃないのか?――当然こんな疑問も湧き上がる。
 実際、視聴率は惨敗だったらしいし……
 しかしオレはこの番組を大好きだったんだよなぁ、スパーク号のプラモも買ったし。
 それに今になって観なおしてみても、色んな場面をキチンと憶えていたのである。
 剛が逃げ出したところやマリオネット原人の死もきっちりと。
 ただ何故剛兄ちゃんが逃げ出してしまったのか、当時の私には理解出来てなかったような気もする。
 そういう意味では、観ていた当時のオレ自身、正しく高井戸研究室の連中と同じ想いだったのだろう。
 そう考えれば、何やら感慨深いものがあるよなぁ……うん。
 ただこの作品の凄みは、ハードなテーマ性ばかりではないのだ。
 いかにヒーロー物としてはマイナス方向の物語展開になろうとも、タイガーセブン登場のカタルシスは決して失われる事がなかったのだ……そう、最後の最後までね(他の特撮作品では、ハードな展開であればあるほど、ヒーローの存在がおざなりになるもん。演出陣が投げちゃうってゆーか、ヒーローをむしろ否定したがるってゆーか)
 とにかくタイガースパークと共に現れる虎男の戦いは、この上もなく燃える燃える。
 回りを取り巻く状況が過酷であればあるほど、勇気を示し強き力を体現する者は、例えようもなくカッコよく見えるものなのだ。
 画的にも――決着が着いた瞬間、間髪入れずファイトグローブをサッと引き抜くアクションなんて、あんた、もう……シビレまくりだぜ(笑)
 ライオン丸あたりからの、スタッフのマカロニウェスタン趣味も随所に見え隠れするしな。
 そういう意味で断じれば、この鉄人タイガーセブンは、極めて正統的なヒーロー物とも言えるのだよ。
 ヒーロー否定の物語でありながら、ヒーロー賛歌となる物語――この矛盾点こそが鉄人タイガーセブンの肝であり、オレがこの作品を究極のヒーロー物と評する所以である。

 ただこうやって褒めまくってはいるが、やはり全体的なショボさは否定できない。
 制作費が少なかったんだろうし、何よりトータルでのデザインセンスが悪い(ついでにネーミングセンスも)
 やはり石ノ森は天才であり、成田は異才だったんだろう。
 ピープロのヒーローが現在リスペクトされにくいのも、その垢抜けなさが原因かもしれない。
 しかし過去にピープロ作品を体験している我々は、ある意味幸せなんだろうね。
 だって今現在でも、素直に作品世界に入っていけるもん。
 平成ウルトラやライダーで目の肥えた今時のガキどもが、果たしてこのショボイ作りを許容できるか?(苦笑)

 そういや伊集院光も、俺たちと同類らしいのだ。
 いろんな所で語っている彼のスペクトルマンへの愛情は、よ〜くわかるからなぁ……

 ああ、マジにタイガーセブンのDVDが欲しい……
 なんかamazonに在庫がありやがるしぃ〜
 

2003年12月7日(日) 





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