お見事

夕陽のガンマン (1965年)

- ガン・マンたちの黄昏 -

 先日、夕陽のガンマン・アルティメットエディションがamazonより届く。

 相変わらずシブイ……つーか、「わかっている」装丁である。
 ボックスのジャケットこそイーストウッドだが、中のケースはリー・ヴァン・クリーフ演じる“モーティマー大佐”が、堂々の表紙である。
 いや、そうだろうそうだろう(笑)
 だってこの夕陽のガンマン、実質的な主人公はこのモーティマー大佐だもんな。
 元軍人である賞金稼ぎの、妹を陵辱し死に追いやった悪党への復讐劇――というのが、この映画の本筋である。
 当然敵役のインディオもキャラ的に大きくなり、こうなってくるとイーストウッド演じる賞金稼ぎモンコは、あくまで第三者的に描かれるしかない。
 ただしこのモンコ――脇役の立ち位置ながらも、常にスクリーンに強烈なオーラを放ち続けるのだからたまらない(無論、主人公としてクレジットされてるのだから、当たり前といえばその通りなのだが)
 ――というか、脇にいるヒーローだからこそ軽妙にカッコイイんだろうなぁ。
 行動原理に外的な縛りがないし、あくまで己のエゴイスティックな感情に従って行動した結果、世間で言うところの“善行”をなすのだからね。
 フィクションにおけるヒーロー像としては、あまりに絶妙の表現である(“続・夕陽のガンマン”でも同様の描き方だったし、前作“荒野の用心棒”も単独ヒーロー物とはいえ、第三者的な脇の立ち位置だったのは間違いない)

 で、その早撃ちのモンコと、どっちかっていうとスナイプなモーティマー大佐が、凶悪強盗団に相対して共闘するんだから、クライマックスのカタルシスは尋常ではないよ。
 ぶっちゃけ『マカロニ版ダブルライダー』ってところか?(笑)
 正攻法ではあのコンビに勝てるヤツはいねぇよ、うん。
 もっともインディオ一味は主人公たちの銃弾とは関係無く、脆くも内部崩壊してしまうのだがね。
 敵役インディオも、実に深〜い描き方がされた悪党である。
 極悪非道で人命なぞ屁とも思っておらず、ついでに付き従う仲間たちすらも全く信用していない。
 で、普段は麻薬(マリファナ)に溺れ、虚ろな時を過ごす。
 ただしそんなインディオが唯一、正気に戻る時間がある。
 それは哀れな子羊に対して銃口を向ける時であり、常時身に着けている懐中時計の蓋を開けた時でもある。
 時計に仕込まれたオルゴールが哀しきレクイエムを奏で、インディオが未だに渇望してやまない1人の女神が、この世に永遠の美を伴ってその姿を現すのである――ポートレイトという形ではあるが。
 そしてその“女神の音楽”が、もう一つの懐中時計の持ち主である1人の復讐者を、彼の元へと呼び寄せる事になるのだな――
 その証拠に、初めて大佐とインディオが会話を交わすシーンにおいて、狙い澄ましたように例のオルゴールのメロディが流れてくるのだから。
 この辺の図式は絵的にも実にカッコイイものとなっており、クライマックスにおける大佐とインディオの決闘シーンなんて、レオーネ独特の映像美も含め、もうタマランのよな(特典ディスクでも語られている通り――教会が悪党一味のアジトだったり、大佐が冒頭“聖書”を読んでいたりと、この映画にはキリスト教を揶揄する場面が其処彼処に見受けられる。ここで書いた“大佐の妹”=罪多きインディオにとっての女神――というか“歪んだ救世主”というのも、あながち外れた読みでもないと思うのだが……)

 で、一方モンコの方はというと、両者の因縁に深入りするつもりは毛頭無いらしく、傍らに座って事の成り行きを見守っているだけなんである(笑)
 絵的には間抜けな構図だが、このクールな距離感が絶妙にイイのだ。
 ラストの賞金配分の際も、2人とも台詞はヒジョーに臭いのだが、その距離感のおかげで説得力のあるものになっているのだな。
 いかんな〜
 文章にすると、どうしても陳腐になっちまうな(笑)
 とにかくレオーネの映像とモリコーネの音楽は、実際に体験した者にしか凄さがワカランだろうし(リー・ヴァン・クリーフのルックスのカッコよさもね)

 そうそう、ここで気になった点をいくつか挙げておく。

 まずイーストウッド演じる賞金稼ぎに、“モンコ”という名前があったのが驚きである。
 てっきり“名無し”だと思っていたのだが……
 ま、名前が判明する場面が字幕だったところから、放映当時はカットされていた事がわかるのだがね。
 以降、劇中でもほとんど名乗るシーンはないし。
 でも、何故カットしたのか?
 やっぱ“モンコ”の発音が、日本語的にヤバかったからなのか?(大笑)
 で次に、昔この映画を観た時には気付かなかった点――
 銀行を襲撃したインディオ一味が東に逃げる際にアグアカリエンテという街に立ち寄る場面があるのだが、以前“とある映画”でアレとそっくりの映像を観た事があったのだな。
 ぶっちゃけて言えばスタンリー・キューブリックの“スパルタカス”という映画で、似たようなシチュエーションが表現されていたのだ。
 「同じロケーションなのかな?」とも思ったが、特典ディスクのメイキングを観て、何かしらの絵画が元ネタらしいと判明。
 これも上記したようなキリスト教がらみの宗教画なのかもね。
 もしかしたら、結構有名な絵? ――なのかも。
 そういや最近この日記でも取り上げた“マッドマックス2”でも、この映画からの引用があったなぁ。
 だって、あの双眼鏡に望遠鏡の対比のさせ方って――モロじゃん(意味合い的には、当然リスペクトをしているマッドマックス2の方が一捻りしてあるけどさ(笑))

 そして最後に、ニヤ〜リとした点。

 多額の賞金を手にしたモンコは、大佐に金の使い道を聞かれてこう答えているのだ。
 「田舎に牧場でも買ってノンビリ暮らすさ」

 ――そうなのだ。
 彼〜モンコの後日談は、やはり“許されざる者”へと続いていくのだな(さしずめ“続・夕陽のガンマン”は、今で言うエピソード・ゼロってところか?)
 その裏づけともなる台詞を、イーストウッド自身も特典ディスクのインタヴューで語っている。
 レオーネ三部作に出演する事で、俳優としてある程度の成功を手にした彼は、以降マカロニウエスタンからきっぱり足を洗っているのだ。

 「もう潮時だと思ったのさ」

 う〜む、カッコイイなぁ……
 山田康雄の吹き替えでこのインタヴューが観れたら、なお良かったのに。

 何にしても、この夕陽のガンマン・アルティメットエディション――ファンの考えうる範囲で、最高・最強のソフトである。
 あと残すは“荒野の用心棒”のみ。

 頼みます!
 お願いだから!!
 プリーズ!!!

2005年6月6日(月) 

いやぁ、何でもない。計算が合わなかっただけだ
Great scene select




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