オレ、いいヒト

続 夕陽のガンマン (1966年)

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 続・夕陽のガンマンのDVDアルティメット・エディションを観終える。
 ――特典ディスクのスミズミまで、もう余すことなく(笑)
 で、現在は秘蔵のCD『Le Colonne Sonore Originali Dei Film Di Sergio Leone』を聞きながら、この日記を書いているワケだ。

 奇しくも最近、TV東京(笑)で荒野の用心棒を観なおしており、前作にあたる夕陽のガンマンもtrekさんに観させてもらったばっかりなのだ(残念ながら夕陽〜は日本語吹き替えじゃないが)
 そこにきてこの続・夕陽のガンマンのアルティメットである――もうお膳立てはバッチリなのだ(笑)
 ちなみにこの3本は、所謂三部作ってヤツで、物語の時系列は続・夕陽〜荒野〜夕陽となっている。
 主人公は当然クリント・イーストウッド演ずる名無しのガンマン(続ではトゥーコが、ブロンディ(金髪野郎)の愛称で呼んではいるが)で、リー・バン・クリーフが違う人物で二役やっているのもオモシロイところだ(何となく仁義なき戦いの松方や千葉ちゃんみたいだね)
 で、以前日記にも書いた事だが、オレたちはテレビ放映された西部劇を観まくっている世代だ。
 となるとイーストウッドは当然、山田康雄の声じゃないとアカンのだ(ぶっちゃけイーストウッド本人よりも、山田康雄を支持していまうのだよ。ショーン・コネリーの若山弦蔵もしかり)
 ホント、刷り込みとは恐ろしいものよのぉ(笑)
 で、何故か今まで吹き替え版DVDは三作の内、どれも販売されてなかったのだな。
 現在販売されている夕陽のガンマンのDVDは、字幕オンリーだし
 しかし此処にきてコレクターズ・アイテム的な付加価値をつけた販売方法を、DVDメーカー側が取りだしたのだな。
 コピーが氾濫するこのご時世で、いかに消費者にオリジナルの良さをアピールするか?――を検討した結果なのだろうが、これはまさに大正解だろう。
 特にこのアルティメット・シリーズは最強だね(エイリアン2もなかなかだったし)
 丁寧なボックス仕様に、充分な満足感を与える特典ディスク。
 当然日本語吹き替え収録(勿論テレビ放映時のヴァージョン)だし、未公開フィルムもでき得る限り挿入してある。
 しかもこの続・夕陽のガンマンに限って言えば、DVDには珍しいライナーノートもついており、加えて劇場公開時の各国のポスターがポストカード仕様で漏れなくついてくるのだ。
 ――いや、もう天晴れなり
 で、こんな風な限りない幸福感と共に、先日映画本編を観終わったのだが……
 内容が、随分記憶と違うような(笑)
 ま、3時間を越える完全版を謳っているのだ。
 テレビ放映の2時間枠でしかこの作品を観たことがないはずなので、ヘタすりゃ半分以上観てなかった事になる(大笑)
 つまり、ほぼ初見と同様の感想になるのよね(笑)

 しかし、それにしても凄い映画だ。
 レオーネ監督のあまりに計算しつくされた、奥行きのある美しい映像といい――
 モリコーネの壮大かつダークで、煌びやかな根源性を宿した音楽といい――
 主役のイーストウッドすら霞むような脇役2人〜汚ねぇヤツことトゥーコに、ワルイ奴ことハゲ鷹〜の素晴らしい存在感といい――
 もう、何処にも文句のつけようがない!
 前2作と違い予算が多かった分、歴史モノとしての西部劇にシフトしてしまったきらいもあるが、オレ個人はこの物語性――大好きだな(今作に批判的なファンは、この辺を槍玉に挙げる傾向が強いみたい)
 つい先日偶然にも新選組!について似たような事を書いたが、歴史の見えない部分をドラマとして描くのって実にオモシロイっす。

 この続・夕陽のガンマンの時代背景はかの南北戦争であり、北軍と南軍の連中が血みどろの戦いを西部全域で繰り広げている真っ最中なのだ。
 で、ノンポリのアウトローたちがお宝を巡って息を呑むような命のやりとりをしているのに、そこにドカーンと流れ砲弾が撃ち込まれて状況がワヤクチャになるんだもん。
 それも1度や2度じゃないし、観ていて「ヲイヲイ」っと突っ込む事がしばしば(笑)
 主人公たちが北軍に現地徴兵されてしまう場面も2回ほどあるし、ある意味世知辛い時代なのである。

 しかしそういった舞台設定は物語に独特のシニカルさを与えており、これは他の西部劇ではあまり見られない部分でもある。
 クライマックスはあれやこれやで、ブロンディとトゥーコの2人が消耗戦を続ける戦場において、計らずも英雄的行為に及んでしまうしな(笑)
 そして圧巻は、やはり黄金のエクスタシーだろう。
 この戦争で戦死した者たちの数え切れないほどの墓標を目の前に、己の欲望だけに溺れゆくトゥーコの迷走する姿を、音楽にあわせて延々と写し続けるシーンである(殆どビデオクリップ状態である)
 モリコーネの音楽は高らかに鳴り響き、ヒロイズムは生き残った愚か者たちの賛歌を奏で、レクイエムは墓の下に眠る勇者たちを称える。
 死者に見守られ、死者を踏みつけて、トゥーコはお宝へと迷走する。
 対するブロンディはその直前、とある南軍の兵士の最後を看取り、己のコートを毛布がわりにかけてやり、その代わりに傍にあったポンチョを貰い受ける――
 この姿が荒野の用心棒へと続くワケだが、オレにはもっと深い意味性を感じてしまうのだ。
 金髪野郎と呼ばれるこの典型的アメリカ人が、メキシコ人的容貌へと変わってしまう。
 つまりこの戦争の空しさに、ブロンディは疲れてしまったのではないのか?
 アメリカ人である事を止めてしまいたくなったのではないのか?
 北でも南でもない……第三者に己の立場をシフトしてしまったのではないのか?
 そうなんだよなぁ。
 この第三者的な立場を取るってのが、荒野の用心棒に繋がっていくのだよ。

 1人離れた所で、ニヒルに達観しお宝だけを要領よく掻っ攫う。
 で、ついでにムカツク悪党たちを、賞金稼ぎの名目で撃ち殺していく――

 そこでヤツは葉巻を燻らせ笑いながら、こう呟くのさ……

 「オレ、いいヒト」――ってな。

2004年12月17日(金) 



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