つまり今作におけるSFとしての説明不足は、作品全体のリアリティを優先したための弊害とも取れるのだな。
〜ていうか、ここら辺がこういった即興的な映像スタイルにおける語り口の限界なんだろうねぇ。
ただ重要なのは、この映画の志向性が上記したようなSF設定の理屈付けそのものにではなく、SFヴィジュアルの現実化〜普遍化に向けられているという事であり、その取り捨て選択により、作品本来が放つ魅力は何ら損なわれてはいないという事実である。
そして、ここで再びハッキリさせておきたいんだが、レヴューの冒頭にも書いておいたが、この映画の肝は『人種差別問題』とかいったポリティカルな面では、決して無いという事である(確かに重要な要素の一つではあるが)
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