ワレン…スパークマン……

スペース1999 1st Season (1975年)

- 限界と叡智 -

先日、hiroさんと一緒に新宿へ行ったのですが、結局私は“スペース1999”のDVD BOXを予約してしまいました。

以前にも書いた通り、最近の私は異様に金遣いが荒い。
本来なら涙を呑んで見送るべきところなのでしょうけど……駄目でした。諦め切れませぬ(笑)

原因の一つは、後になればなるほど手に入りにくくなるって事があります。
断っておきますが、限定販売だからではありませんよ(東京に住んでいる限り、大概のモノは手に入れる事が可能です)
じゃ、何故かって言うと――LDの時がそうだったんですが、ことITC系列のソフトは、プレミアが付きやすいみたいなのです。
特に“謎の円盤UFO”や“スペース1999”“プリズナーNo6”などはべらぼうに高い!
とてもではないが私ごときに購入出来る金額ではないのですよ。
この両作品や日本の“怪奇大作戦”などは、現在のLDソフト叩き売り市場でもなお、値下げの気配すら見せないのです。
おそるべし!

でもなんでこれらの昭和40〜50年代に制作された“カルトSFテレビシリーズ”は、ここまで熱烈な支持を受けているのだろう?
私も含めて、何故に皆ここまでの愛情を注げるのだろう?(“エヴァンゲリオン”の“UFO”へのオマージュは記憶に新しいところですよね)
考えてみると同じ様に評価が高いSFテレビ作品に“スタートレック”や“ウルトラセブン”等がありますが、“UFO”や“怪奇”とは微妙に温度差を感じるんですよ。
メジャーかマイナーか、って部分かもしれませんが、多分それだけじゃないっす。
う〜ん、わからん(笑)

ただ言える事は“UFO”にしたって“1999”にしたって、個人的にも凄く“特別”な作品なんですよね。
特に“1999”――こいつはインパクトがでかかった。

今、思い返せば――、私はこの作品で初めて、リアル(っぽい)な“SF映像”を実感させらたんだと思います(“スターウォーズ”は勿論、リバイバル“2001年”もずっと後になってからでした)

余りに鈍臭い機動性だが、それ故にリアルな存在感を醸し出す“イーグル・トランスポーター”
物語の舞台となる“ムーンベース・アルファ”の繊細に構築された生活システムと、美しさすら感じてしまう洗練されたデザイン。
硬化ガラスの向こう側は、エアがない死の空間であるという表現(初めて“人が窓の外へ落ちていく”シーンをTVで観た時は、めちゃくちゃショックでしたよ)
――とまぁこんな感じにね、リアルにディティールを描写すればするほど、人類文明の限界をイヤというくらい実感していく事になるわけなんですな。
そしてこういった物語構造が、実はこの作品の重要な“肝”となるんです。

地球の衛星軌道を離れ外宇宙に飛び出すこととなった“月”は、我々の想像を絶する数々の苦難や無理難題を、“人類の代表者たち”(つまりはアルファのメンバー)にぶつけてくるわけだ。
それはオーバーテクノロジーを持つ異星人たちであったり……
ブラックホールのような“自然現象”であったり……
イドの怪物が巣くう惑星だったり……
時空を超えるタイム・パラドックスであったり……

とにかく何事に出会っても、人類は一方的に不利なんだよねぇ。
そう、あまりに我々が築いた“文明の力”は非力なのだ。
精神的にも物質的にも、我々人類は絶望的なくらい“未熟”なのですよ。

そもそも、その“未熟”さが災いして、月は衛星軌道を離れてしまったワケだし(自分たちで処理できない不要核燃料の不当廃棄が、事の発端)
しかも我らが“地球人類”は、実質的に物語の冒頭で滅んでしまっているのだ(月が衛星軌道を離れた直後、地球上は重力異変などによる未曾有のカタストロフに見舞われ、その際に現代文明の殆どが崩壊してしまったらしい)

つまりあの時点において人類は滅亡こそすれど、“自力”で外宇宙に飛び出せる程の文明を育んでいたワケではないのだな。
つか、“スペース1999”のタイトルには、やはり黙示録的な意味合いが込められていると。
しかしそれでも――、作品の語り口は、そんな未熟な人類を決して見捨ててはいない。
っていうか“2001年宇宙の旅”のスターチャイルドみたいな、ある意味他力本願な展開には、絶対にならないんだよね。

どんなに「野蛮だ」「未熟だ」「ひ弱だ」と“宇宙に棲む様々な意志たち”に罵倒されようとも、彼ら“人類の代表者たち”は、果敢に生き延びる為の闘いを続けていくのである。
そして少しづつではあるが、様々な事件と出会う度に“学び”“力を蓄え”“成長して”いくのだ。
人がヒトで在る事を決して放棄しようとせずにね。
………これって凄くカッコイイ表現だよ、うん。
何かダラダラと長くなったかね。
んじゃ最後に、この作品で一番好きな台詞を書いておきます。

シチュエーションはよく覚えていないんですが……とにかく月が大変な事態に陥って(まぁ、いつもの事ではあるが(笑))、このままだと全員が死んでしまう事になる。
そんな絶対絶命の状況下、アルファのコンピューターが最後にこう言うんですよ。

「後は、人類の英智と決断に頼るしかありません」

――やっぱ好きだなぁ、この作品(笑)
DVDが楽しみ!
あ、あと、宇宙飛行士のアラン・カーターが放映当時大好きだったんだよなぁ……
“イーグル1”のメインパイロットだったんだけどさ、やっぱ“アストロノーツ”って子供心に凄く惹かれるモノがあったんでしょうな。

オペレーターのサンドラも可愛かったし。
彼女、ちょっとヘップバーンに似ているんだよね。

あと、モローの口髭が………
   

2001年3月16日(金) 





- 2001から1999への物語 -

昨日“スペース1999”と“Xメン”のDVDを購入した。
はう――、観てないソフトが沢山あるというのに(笑) 少しづつこなしていくしかないよねぇ。

で、とりあえず、“1999”の第1巻だけをチェックする事にした(“観る”とは微妙に心境が違うのが、ちょっと空しい…)
それにしてもDVDって凄い!
1枚のディスクに、1時間番組が4話も収録できるなんて!

しかし今になって観直すと、また違う部分が見えてくるもんだす。
一部のSF考証がメチャクチャなのはご愛嬌としても(笑)、最後に観たのはもう10年以上前だからなぁ。
前回も書いたが、やはり“2001年”の影響はかなり強いですね。
特にブラックホールの話は、かなり露骨です。

“ディスカバリー”と“月”
“作業ポッド”と“イーグル5号”
“モノリス”と“高次元生命体”
“スターゲート”と“ブラックホール”
“コンピューターの描き方と人の接し方”
“時空を超えた現人類の老成” 

――といった具合で、キーワード的にはパクリと言っても良いぐらい(無論、スタッフのリスペクトだとは理解していますが)
しかしおもしろいのは、あれだけ見せ方は同じなのに、導かれた結論がまるで“2001年”のソレとは正反対な事です。
だって、アルファの連中はスターチャイルドにならずに“そのままの姿”で、現世に戻ってきちまったからな(笑)
既に2〜3話において、ケチョンケチョンに異星人に罵倒されてきたコーニッグたちではあったが、やはりスタッフの方々は現行の人類を信じておるのでしょう。
――愛しているとも言えます。

第3話で永遠の命を得たラッセル博士が叫んだ、コーニッグへの想い。
そして「どうせ死ぬならアルファで死にたい」というコーニッグの結論。

私がこの作品を好きになった理由は、やはりこの辺りにありそうです


2001年4月6日(金) 


1人ぼっちなんて嫌だ。見てて下さい、必ず戻って見せます!
Great scene select


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